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早大ゼミ「ハンセン病を撮り続けて」2021/11/8

Zoom配信にて、どなたでもご参加いただけます

「ハンセン病を撮り続けて」 フォトジャーナリスト 八重樫信之

2021年11月8日(月)18:15~

早大ゼミ「多様性という衝撃」障害者のリアルに迫る@早稲田大学
Zoom配信(要事前登録) 参加方法は下記


早大ゼミ「多様性という衝撃」のオンライン講座で、これまでハンセン病問題にどう関わってきたかを話します。テーマはハンセン病ですが、これまで写真を仕事にしてきた自分が、最近話題になっているユージンスミスの「入浴する母子像」についてどう感じたか、少し触れたいと思います。

俳優ジョニー・デップが写真家ユージン・スミスを演じたハリウッド映画「MINAMATA」が、話題になっています。この映画をきっかけに水俣の公害を初めて知る若い人も多いのではないでしょうか? 2015年に公開された、河瀬直美監督の「あん」でも同じようなことがあり、映画に啓発されてハンセン病問題に取り組んでいる人たちがいます。

水俣病とハンセン病には共通点があり、その一つは国の政策の過ちで甚大な被害を受けた大勢の人たちがいることです。水俣は人の命や健康よりも経済を優先した結果、有機水銀による公害が発生しました。ハンセン病はらい予防法で患者を療養所に終生隔離することで、人生のあらゆる発展可能性を否定しました。

水俣病は奇病、ハンセン病は天刑病と言われ、患者が出ると、その家族が住んでいた家は消毒剤を撒かれました。バスに乗せてもらえないとか、買い物では釣り銭を直接手渡さず、箸やザルを使うなど、どちらも似たような被害を受けています。この恐怖心が偏見・差別を生みました。水俣病が公害病と判明し、ハンセン病が特効薬で治る病気と分かっても、いったん生まれた偏見・差別はなかなか消せません。

今回は2001年のハンセン病の国賠訴訟から2019年の家族訴訟までの裁判の流れと、闘った人たちの肖像を紹介します。


【参加方法】
メールで realzemiwaseda@gmail.com 宛に
・件名「早稲田リアルゼミ 参加希望」
・名前
・所属先
を記載の上、お送りください。
後ほど、ZoomのURLを送付いたします。

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多磨全生園はいま

入所者の減少と高齢化で使われなくなった建物が取り壊され、現在は集合式の棟が建てられている。全生園の南門近くにある高架水槽屋上から/2014年4月8日

入所者の減少と高齢化で使われなくなった建物が取り壊され、現在は集合式の棟が建てられている。全生園の南門近くにある高架水槽屋上から/2014年4月8日

会員 八重樫信之

昨年の秋頃から全生園東側(資料館側)にある平屋の住居の取り壊しが始まり、近所に住む人々や園に出入りする支援者のグループに驚きの声が上がりました。

強制収容されたとはいえ、入所者の皆さんにとっては、長年住み慣れた我家には愛着があったと思います。木を植え、盆栽や花を育てた庭が無惨にも掘り返されていました。土台だけが残った風景はまるで東北の被災地のようでした。

取り壊しについて私のフェイスブックにも、下記のような意見が書き込まれています。

同じ場所から撮った全生園の全景。長屋式の平屋の建物が敷地一杯に並んでいる/1997年2月27日

同じ場所から撮った全生園の全景。長屋式の平屋の建物が敷地一杯に並んでいる/1997年2月27日

「少し前まで入所者さんが暮らしていた平屋建ての住居が壊され、更地になっていた。割と元気な方々が住んでいて、庭で盆栽や野菜作りを楽しんでいる方も多かった。人数が減る中で、建て替えや集約化は止むを得ない部分もあるかもしれないが、外には出られない隔離生活の中で、長年にわたって築いてきた暮らしが変わることが、高齢の入所者さんにどんな影響をもたらすのか、そして更地になった跡地はどうなるのか、気になる」。現在は作業が進み、跡地はきれいに整地されましたが、今後全生園がどうなるのか、関係者は心配しています。

2015年秋に全生園東側にある居住棟の取り壊しが行われた。ホームレスが入り込んだり、火事の心配があるからだという

2015年秋に全生園東側にある居住棟の取り壊しが行われた。ホームレスが入り込んだり、火事の心配があるからだという

昨年暮れに開かれた支援グループ、ハンセン病首都圏市民の会の事務局会議に、佐川修・入所者自治会長が出席したので、全生園の現状と今後の見通しなどについて説明していただきました。

「入所者がマンション形式の新しい居住棟へ引っ越しした後、空き家をそのままにしておくと物騒なので、夫婦舎21棟を取り壊した。今後は整地して、市内のNPOや支援団体に手伝ってもらい、四季の花が咲く人権の森記念公園にしたい」「自分たちができることは最後までやるつもりだが、その後の維持管理については、国や都の協力が必要になる」と佐川さんは言っていました。

2016年5月18日。きれいに整地された跡地。風が吹くと土埃が舞い、洗濯物が汚れる

2016年5月18日。きれいに整地された跡地。風が吹くと土埃が舞い、洗濯物が汚れる

朝戸裕・全生園園長は自治会誌『多摩』の新年号で「今後の利用計画は未定ですが、自治会の方々と相談し決めて行ければと考えています」と書いています。東村山市は園内に建てられた石碑の中で、「この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐ」と宣言しています。

将来的には全生園を「人権の森」として残し、療養所、納骨堂、歴史的な建物、資料館を中心に市民が人権について学んだり、憩いの場となればいいのではないかと思います。

全生園の南門近くにある旧少年少女舎。収容された子どもたちが共同生活した建物。廃墟のまま放置されている

全生園の南門近くにある旧少年少女舎。収容された子どもたちが共同生活した建物。廃墟のまま放置されている

 

 

 

 

 

 


 

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台湾楽生院訪問記

訪問1日目。私の誕生会にたくさんの人が集まってくれました。

訪問1日目。私の誕生会にたくさんの人が集まってくれました。

会員 冨田 美代子

2016年2月11日から14日の4日間、台湾楽生院を訪問しました。現在入所者は約140名で平均年齢は85歳。建物は小高い丘の上と下に分かれており、上には約20名、下には約30名の入所者が住んでいます。その他の人たちは病院棟内に入っている様子でした。

さて、ずっと楽生院からのお誘いを受けていましたが、今回ようやく時間も取れ、5年ぶりの再会。また誕生日の2月に訪れることが出来て、園内でお誕生会を行って下さいました。たくさんの笑顔と

2011年の訪問の際は、地下鉄工事で毎晩うるさく眠れない状態でした。5年経ち、工事が終わり、現在は静かな場所となっています。しかし、高く遮るフェンスの向こうには、山積みされた土が残り、いまだ工事中のように見えました。台北市内まで約20分で行ける便利な場所で、2018年には、地下鉄が完成予定との事でした。

2011年の訪問の際は、地下鉄工事で毎晩うるさく眠れない状態でした。5年経ち、工事が終わり、現在は静かな場所となっています。しかし、高く遮るフェンスの向こうには、山積みされた土が残り、いまだ工事中のように見えました。台北市内まで約20分で行ける便利な場所で、2018年には、地下鉄が完成予定との事でした。

たくさんのプレゼント、ボランティアや園内の方々が心を込めて作ってくれた素朴な中にも幸せを感じる料理など、本当に幸せなひと時からスタートした楽生院での一日目となりました。

2日目からは毎朝、早朝6時には園内を出発して、電動車椅子を巧みに操るお元気な張文賓さん(92歳)と朝食のための揚げパンと果物などを買いに行き、園内でお話し。

そこで寂しい話を聞きました。昨年、2名の入所者さんが自殺をしたということです。一人は78歳、もう一人は74歳。まだまだお元気な人もいる年齢なのに、と私はショックを隠せませんでした。74歳の方は病気に疲れ、痛みに耐えきれず首を切ったそうです。高齢化が進む中、こういった自殺は後を絶たない現実でした。

黃文章(77歳)さんは丘の上でひっそりと暮らしています。お宅は皆が集まる憩いの場になっています。フィールドワーク中に降った雨をしのいで暖を取り、美味しいお茶を頂きました。

黃文章(77歳)さんは丘の上でひっそりと暮らしています。お宅は皆が集まる憩いの場になっています。フィールドワーク中に降った雨をしのいで暖を取り、美味しいお茶を頂きました。

しかし、張さんは毎朝病棟に入っている友達の鄭天正さん(86歳)の朝食を作っています。「鄭さんは魚の煮物が好きでね~」と朝早くから不自由な手で作った煮魚をしっかりと手にもって行くと、鄭さんが笑顔で迎えてくれました。

3日目は観光や温泉に連れて行って頂き、少しリフレッシュ。

4日目、園内フィールドワーク。茆萬枝さん(80歳)が一人でつくった資料館には、古い日本語のテープもたくさん保存されていて、多くの人たちが日本語を学んだ跡が見受けられました。

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『ハンセン病家族たちの物語』黒坂愛衣著

ハンセン病家族たちの物語 昨年5月のハンセン病市民学会に合わせて出版された『ハンセン病家族たちの物語』(世織書房刊 定価4000円+税)を読みました。著者は東北学院大学准教授の黒坂愛衣さんです。現在は仙台市在住ですが、ハンセン病首都圏市民の会の元会員です。

聞き書きに登場する12人は「ハンセン病にかかった肉親(親や年上のきょうだい)がおり、かつ自分自身はハンセン病にかかっていない人たち」です。この人たちはハンセン病回復者本人と同じ過酷な被害を受けています。身内に回復者がいることをひた隠しにしたために、親は死んだこととするなど、「嘘の綱渡り」をして生きてきました。親が療養所に収容されると家族はバラバラになり、子どもは親戚や施設で育てられ、家族の絆は断ち切られました。このような境遇を明かすのは勇気のいることで、話す側も聞き取る側にとっても、つらい作業だったと思います。本を書き上げるのに10年かかったそうです。

これまで当事者の証言集は多く出版されていますが、その家族の証言を著したのはこの本が初めてといっていいでしょう。10年の時間がこの労作を生んだと言えます。

今年2月に元患者の家族が損害賠償や謝罪を求めて、熊本地裁に集団訴訟を起こしました。第二次も含めると原告数は568人です。なぜ家族が提訴したかを理解するうえで、この本は参考になるでしょう。

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ハンセン病特別法廷

ハンセン病患者の裁判が裁判所外の隔離施設などに設置された「特別法廷」で開かれていた問題で、最高裁は4月25日、「差別的な取り扱いが強く疑われ、違法だった」とする調査報告書を公表し、「偏見、差別を助長し、人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」と謝罪した。しかし違憲性には言及しなかった。

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ハンセン病家族が提訴

ハンセン病に対する厳しい偏見・差別ゆえに、これまで患者の子どもであることを隠して生きざるを得なかった家族が、初めてその被害を訴え、国に謝罪と賠償を求めて提訴。原告は568人(3月29日現在)

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「ハンセン病と教育」佐久間建著

ハンセン病と教育-負の歴史を人権教育にどういかすか-

「ハンセン病の子ども」が受けた心といのちの被害は、遠い過去の日の差別の一事例であるだけでなく、いじめが多発する現在の学校の人権状況を改善する有効な教育素材として活用されるべきです。教育素材としての「ハンセン病」は、子どもたちにいのちと人権の尊さを切実に伝え、子どもたちの心を育て、これからの行動や生き方を考えさせるうえで極めて有効であることを、私は自分の拙い教育実践からも確信しています。歴史の影に隠れてしまいがちな「ハンセン病と教育」に目を向け、かつての「子ども」と「教師」それぞれの”負の体験”をこれからの教育と子どもたちのために生かしてほしいと心から願っています。(まえがきより)


推薦の辞

一陽来復の春、皆様にはいよいよご健勝のこととお慶び申し上げます。 さて、IDEAジャパン理事の佐久間建さんが、このたび『ハンセン病と教育』(人間と歴史社)を出版されました。佐久間さんは、東村山市で教員として奉職されていた頃から、ハンセン病問題に熱心に取り組み、全生園の入所者や退所者を講師として授業に招いて、子どもたちにイジメや差別など人権問題について考える機会を与えてくださいました。
佐久間さんは上越教育大学大学院に留学中、全国13の療養所を訪問し、資料を徹底的に調査・研究すると同時に、回復者からの聞き取り調査にも尽力されました。本書は、ハンセン病の歴史の中で、教師がハンセン病を病む子どもたちに何をし、何をしてこなかったか(加害責任)を検証し、過酷な人生を生き抜いた回復者の姿から「生きる意味」「命の大切さ」を訴えています。これまで例を見ない分野の著作であると言えます。
教育問題がいろいろ論じられている昨今、教育関係者だけでなく、広く一般市民にもぜひ読んでいただきたく、IDEAジャパンとして出版に協力し、推薦する次第です。

2015年1月吉日 IDEAジャパン理事長 森元美代治