蘭(アララギ)由岐子 (神戸市看護大学准教授、IDEA ジャパン会員)
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photo by Sigurd Sandmo (IDEA ノルウェー) |
2003年秋、熊本県のハンセン病者支援事業(ふるさと訪問事業)に参加する菊池恵楓園の入園者たちが温泉ホテルから宿泊を拒否される事件が起こりました。その際、一般市民から多くの「差別文書」が菊池恵楓園に送られました。この事件は、快復者たちにとって、とてもショックなもので、いまだに尾を引いているところがあります。本報告では、その文書に見られた排除の論理を紹介し、近年の日本におけるハンセン病差別の様相について考えたいと思います。
文書の内容分析に入る前に事件の背景を説明しておきましょう。まず、ホテルが宿泊を拒否したことを知った恵楓園自治会の役員たちは、そのこと自体が重大な差別行為であると認識しホテルに抗議に行きました。そのとき支配人は宿泊拒否の理由がハンセン病にあること、またその決定は組織的なものであると言明しました。ところが数日後、恵楓園に謝罪に訪れたときには、支配人個人のハンセン病についての知識や理解が足りなかったがゆえの宿泊拒否であったと言いました。組織的決定が個人のそれに替わったことを知った自治会役員たちは支配人の謝罪を拒絶しましたが、このことがテレビニュースで報道された直後から、差別文書が恵楓園に送られてきたのです。
文書は主にはがきや手紙で送られ、それらは後に菊池恵楓園自治会の手によって『黒川温泉ホテル宿泊拒否事件に関する差別文書綴り』としてまとめられました(菊池恵楓園自治会2004)。そのなかには、恵楓園の入園者たちを嫌悪させようとした文字通りの「いやがらせ」文書もありましたが、達筆な文字で書かれたものも多くありました。それらを解読したところ、差別の論理には大きく分けて3つの根拠が表明されていました。
まず、文書の書き手たちは、報道から知りえた情報のみでハンセン病快復者像を構築し、それを根拠に論理を展開していました。2年前のハンセン病訴訟のときには「被害者」であった快復者たちは、今回は「女性」支配人の謝罪を拒絶した「強者」として書き手たちの目に映りました。書き手たちはこのギャップ(不協和)に我慢がならなかったため、文書を送ったのです。いいかえれば、書き手たちは回復者たちにあくまでも「被害者役割」を押しつけていたといえましょう。
第二の論理は、「元患者」の意味を理解せず、目にうつる彼らの後遺症を根拠にするものでした。温泉に入る(=一緒に同じ浴槽につかる)という状況がさらにそれを強めました。
第三の論理は、入所者たちが「税金による生活者」であることを根拠にしていたことです。つまり、国立療養所という税金で運営される施設に暮らしている者、すなわち、「働いていない者」が温泉に行くことへの批判でした。これらの論理のなかにはハンセン病問題への無理解(病者たちがいまだ療養所で暮らしていることや後遺症、旅行の意味)とともに、日本の一般市民の福祉施策への無理解、ひいては人権意識の低さがありました。また近年、経済的不況によって相対的剥奪感が強まっていることもそこに現れていました。
では、私たちはこの事件から何を学ぶべきでしょうか。人々にハンセン病のことを知ってもらう―これは恵楓園など療養所のボランティア講座として実現されています―と同時に、この問題をもっと広い社会問題の文脈で議論し、問題解決の方法を模索しなければならないでしょう。そして、私たちは友人として快復者を支え続けなくてはなりません。
〈付記〉 本報告は、拙稿「宿泊拒否事件にみるハンセン病者排除の論理―『差別文書綴り』の内容分析から」(好井裕明編『繋がりと排除の社会学』明石書店2005所収)および「ハンセン病差別の今日的様相」(好井裕明編『排除と差別の社会学』有斐閣2009所収)をふまえたものです。
蘭さんは、パワーポイントを使って差別文書を紹介しました。日本語で書かれていましたが、外国の参加者にも、そのおぞましさは十分に伝わりました。
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