|
||||
ニュースレター No.5 Topへ >> ニュースレター No.5 記事(3) |
ハンセン病と教育についての研究を振り返って 佐久間 建 私が全生園に最も近い小学校でハンセン病の授業(6年生の社会科)に取り組み始めたのは、今から15年前、ちょうどハンセン病資料館が開設した年です。今では東村山市のすべての小中学校でハンセン病・全生園に関する授業が実施されるようになり、子どもたちの学習を通して、保護者や地域の人々にも理解と交流が広がっていることを感じています。 しかし本当に教育の場で「ハンセン病」を取り上げる必要があったのは、らい予防法が存在し、ハンセン病への偏見・差別が日本中に横溢していた時代だったのではないでしょうか。私たち現在の教師たちは、過去の教師や教育界が犯した過ちを反省も総括もすることなく今日に至っています。政府の施策が180度転換した今日、ハンセン病にかかわる人権教育と啓発が求められるようになりました。しかし、行政の方針転換に従うだけの「上からの人権教育」であるなら、私たちは隔離主義時代の教師と同じ構造の中にあるといえるのではないでしょうか。 そのような問題意識から、平成17年度より2年間、長期派遣研修として上越教育大学大学院でハンセン病と教育の歴史を研究する機会を得ました。そして、学んだ成果を論文としてまとめることができました。研究テーマは、『近現代日本ハンセン病史における「子ども」と「教師」-“負の経験”をこれからの人権教育に生かすために‐』です。ハンセン病療養所内の「子ども」や「教育」については先行研究もあり史料も残されていますが、一般教育とハンセン病の関係やハンセン病隔離政策に果たした「教師」の加害責任については、これまでほとんど論じられてきませんでした。 研究方法としては、文献史料による調査だけでなく、歴史の当事者であった回復者からの聞き取り調査を重視しました。現在、療養所入所者の平均年齢は70代後半になり、かつての「ハンセン病の子ども」や「患者教師」の経験を掘り起こし、後世に伝えることは、今をおいてできません。幸い全国各地の療養所を訪れてご協力を頂くことができ、貴重な証言の聞き取りをすることができました。お話を聞くことができた方は、講演も含めると92名にもなりました。 ここで論文の詳細をお伝えすることはできませんが、研究の成果として次の4点を挙げることができます。 第一の成果は、過去の「ハンセン病の子ども」がどのような状況におかれ、どのような人権侵害が起きていたかを明らかにできたことです。特に、発病直後から療養所収容までに「ハンセン病の子ども」が学校や地域から差別的に排除された経験が、心的外傷として永く生涯に負の影響を及ぼしていることを指摘しました。また、療養所における教育と寮生活の環境の劣悪さ、とりわけ戦時下の「ハンセン病の子ども」は「療養」に値しない過酷な状況に置かれ、命を奪われた事実も数多くあったことを示すことができました。 第二の成果は、隔離政策時代の「教師」が「ハンセン病の子ども」に対して無力であり、加害者でもあった状況を明らかにしたことです。特に、一般校で「らい」の子どもを発見するための身体検査の実態から、学校がハンセン病患者強制収容システムに組み込まれていたことを検証できました。またその背景として、戦前の修身教科書・教師用書における「らい」の記述、戦後の保健体育教科書における「らい」「ハンセン氏病」の記述の誤りの問題も指摘しました。
第四の成果は、ハンセン病にかかわる人権教育の現状と問題点を明らかにしたことです。全国の療養所付近の小中学校385校への「交流」「学習」実施状況アンケート調査も実施しました。さらに先進的な教育実践例とそれに取り組む「教師」の姿から学び、ハンセン病にかかわる人権学習の進め方と留意点について具体的な提案を述べました。 学校現場を離れ、重大な研究テーマと格闘した2年間でした。反省と課題は多々ありますが、ハンセン病に対する「学校」「教師」の加害責任を明らかにし、今後の教育実践につなげる研究ができたと自負しています。また、研究成果を教員だけでなく少しでも多くの人々に伝えていく義務を感じています。ハンセン病と教育について関心をおもちの方はぜひご連絡ください。 |
|||||||||||||||||||||||||||
|
|
特定非営利活動法人 IDEAジャパン © IDEA Japan 2004-2015 |