ニュースレター No.5 (2008年2月発行) (1)(2)(3)(4)(5)
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故郷は近かった

理事長 森元 美代治

昨年10月19日から23日まで生まれ故郷の喜界島へ、24日から28日まで奄美市へ、と九つの講演旅行へ行ってきました。幼子が何かを無心にねだるように、長年純粋に追い求めてきた夢の実現でした。これまでの帰郷と明らかに違っていて、親戚一同が快く受け入れてくれたし、自由にさせてもらえて、感慨もひとしおでした。
▲喜界島の実家で/07年10月

母校である喜界町立第二中学校(全生徒数25名)をはじめ、第一中学校(全生徒数188名)、早町中学校(全生徒数61名)、鹿児島県立喜界高校(全生徒数226名)の生徒たちや、喜界町人権同和教育研究会の先生方、町民、村人、親戚、同窓生など多くの皆さんと心おきなく触れ合うことができたのです。
思い起こせば、職場にも慣れて、「これから」という矢先、ハンセン病が再発し、すべてを捨てて多磨全生園に再入所したのが1970年でした。以来、兄弟の他には「美代治は行方不明」とし、両親の死に目にも会えない悲しさ、悔しさもありました。1991年に鹿児島県主催の故郷訪問に参加した折、最後の好機かと厳重に変装して墓参りし、両親の墓前で惨めな思いに男泣きしたり、生家の門に立ちながら、誰かが居る気配に慌てて逃げ出した空しい思い出もあります。
96年のらい予防法廃止を機に普通にきょうだい付き合いをしたいと躍起になっていましたが、前に出れば出るほど叩かれる始末でした。実名で闘病記を出版し、講演、TV出演などがあるたびに、異常なまでに激しい反発を受けました。
97年には、喜界第二中学校第5期生の同期会に初めて参加し、45年ぶりに旧友たちと再会したり、また名瀬市では市を挙げて私のために文化講演会を計画してくれました。ところが、喜界島の森元家では「とんでもない。絶対に許し難い」と大騒ぎになりました。「森元家の恥。喜界島の恥。奄美大島の恥だ。これから育つ子や孫、甥や姪の結婚に支障を来す」等々、喧々囂々の大騒ぎになりました。八重樫信之理事に先発隊として喜界島へ行って、兄夫婦と話し合ってもらったところ、幸いにも兄が許してくれたので、奄美市での講演会は大盛況のうちに終えることができました。
けれど、ハンセン病国賠訴訟の原告になったときにはまた反対され、01年、熊本判決の出る2ヶ月前に兄は、「青酸カリを飲んで死んでくれ」とまで言ってきました。参議院議員選挙に全国比例代表に民主党より立候補し、挨拶回りに帰郷したときも、「何しに来た! 帰れ! 帰れ!」と門前払いを喰わされました。
何を言われても、いつかは分かってくれると信じて耐えるしかなかったのです。そんな兄が3年前、高血圧で倒れて急逝しました。私は沖縄に出張中でした。ふた言目には「俺には森元家を守る義務がある」と言ってかたくなに私の活動を拒み続け、ときには私の存在さえ認めようとしなかった兄でしたが、繊細だった兄の心労を思うと、心底憎む気にはなれませんでした。和解の盃を交わし、死に水を取ってあげたいと願っていましたが、ついにその時はきませんでした。
1週間後に喜界島に電話を入れると、「弟とは思わない」と縁切り宣言し、絶縁状態だった大阪の姉が出ました。いつもなら私の声を聞くと、受話器を下ろして、話そうともしない姉が、電話の向こうで泣いていました。私はとっさにその涙の理由を察し、姉に何かの変化を期待しました。
2年前、兄の1周忌に帰郷した直後、大阪で姉や弟たち家族全員と会食をすることができました。奇しくも、兄の死が私たちきょうだいを結びつけ、親戚一同に完全な和解をもたらしてくれたのです。
紆余曲折を経て、長年温めてきたこのたびの故郷での講演紀行となりました。どの学校でも子どもたちは教室の窓から顔を出して「こんにちは。いらっしゃい」と元気な声で歓迎してくれました。講演のあと、しっかりした感想や、謝辞を言い、写真を撮ったり、握手を求める子どもたちも大勢いました。この子どもたちの温もりを大切にしたいと思いました。
忘却の彼方に消えていた、ハンセン病になる前の自分の元気だった子ども時代が浮かんでくる瞬間でもありました。喜界島の美しい自然や文化、隣人を大切にする人情や環境の中に生まれ育った幸せを噛みしめていました。
何かことある毎に、私をいたわり支援してくれた喜界町役場の吉本実さんとさゆりさんご夫妻、お隣の若い金井勝芳さん、湾小学校の友岡芳俊先生、喜界第二中の佐藤貴紀先生、同級生の前島勇一郎さん、奄美市議会事務局長の松田秀樹さんをはじめとして、故郷の皆様のご尽力によって、今回の故郷での講演紀行が実現できたことに心から感謝せずにはいられません。

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