ニュースレター/IDEA国際会議 in インド特集号 (2008年4月発行) (1)(2)(3)(4)(5)
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ネパールから、うれしいニュース

村上 絢子

ハイデラバードのIDEA国際会議で、とくに目立ったのは女性パワーでした。ハンセン病患者・快復者であり、女性であることから、男尊女卑の厳しい社会では二重の差別にさらされ、教育を受ける権利も、職業に就く権利も保障されていません。この問題は、HIV、難病、障害者などにも共通していますので、女性たちがともに闘っていきましょうと、アピールしていたのが印象に残っています。

そんな中で、ネパールで看護師をしているパルバティ・オリさんと出会いました。快復者でもある彼女は、ネパールの患者の子どもたちが自立して生きていくために、ぜひとも教育を受けさせたいと、一生懸命に訴えていました。IDEAジャパンはバサンタさんという女子学生に奨学金援助をしていますが、バサンタさんが発病して実家から追い出され、行く当てもなかったとき、オリさんがバサンタさんを自分の家に下宿させて、治療を受けさせ、学校に通えるように援助していたのです。

IDEAジャパンの奨学金援助はささやかですが、それでもネパールで医学の道に進みたいというバサンタさんの希望がかなうよう、彼女が無事に卒業できるまで、支えていきたいと心底思いました。

▲ハンセン病の村の親子
でも、どうしてオリさんがそんなに熱心に快復者の子どもたちを援助しているのか、疑問に思って、オリさんに聞いてみました。するとオリさんは、「私も日本の快復者、松本馨さんの援助を受けて勉強して、看護師になれたのです。私は松本ファンドの第2号の学生でした」と。私はその言葉を聞いてショックを受け、次の言葉が出てきませんでした。あの松本ファンドの学生にインドで出会うとは!
松本馨さんは、患者運動の先頭に立って「人権回復」のために闘ってこられた方です。乏しい生活費の中から蓄えたお金で、ネパールの子どもたちのために「松本ファンド」を立ち上げ、支援を続けてきました。オリさんは松本さんの遺志を継いで、次の世代を育てようと、固く決意していることに、私は深く感銘を受けました。松本さんの「ひと粒の麦」は、確実にネパールに根付いています。

最近うれしいニュースがネパールから届きました。バサンタさんがオリさんと一緒に、帰省したところ、両親も、親族も、近所の人たちも大歓迎してくれたそうです。「石もて追われた」バサンタさんが生まれ故郷に迎え入れられたのです。さらにうれしいことに、バサンタさんは9年生を無事修了し、10年生の試験に合格しました。バサンタさんが、将来への希望をもって勉学を続けてほしいと願っています。


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