冨田美代子(監事)
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▲李添培・元会長(中央)一家と。左から2人目が冨田美代子さん |
2011年7月15日から20日まで、初めて台湾へ行ってきました。19日から20日の1泊2日は、楽生院自救会(入所者自治会)の李添培・元会長宅でお世話になりました。
7月31日からは台湾のお盆にあたります。お盆の1週間前から廟や家々ではあの世のお金を燃やし死者を招く準備が始まります。夕食は元会長の娘さん2人とその家族も一緒に楽しく食事しましたが、娘さんの1人は妊娠4ヵ月になるそうです。日本の療養所では子供を産むことさえ許されなかった中、元会長は2人もの子供と孫まで持ち、大家族となる喜びを抑えきれないようでした。元会長は「台湾でも子供を持つことは大変だったが、さらに大学まで行かせるのは本当に大変だった」と言いました。ハンセン病という病気を負った中での苦労ですから、私には考えもつかないないほどだったと思いました。
新病棟は地盤沈下のため、すでに傾き始め、11月に作られた橋には亀裂が入ったので、一度取り壊し、再作業を行っているとのことでした。新病棟は、外部の人たちも自由に使える一般の病院となっていました。建物の奥にハンセン病の病棟があって、入所者は街の人たちと同じ病院を利用しています。元会長は「入所者が使うことを無視した病棟だ。これは許されない。本来は入所者の治療や住まいに使うはずだったのに、個々の人たちへのケアが軽視されている。このことを日本の人たちに必ず伝えて欲しい」と、苛立ちを見せながら熱く語っていました。
日本では社会との共存を望んでいる一方、台湾では一般人が病院へ来ることで、入所者への対応が疎かになっています。重病棟に入院されていた方は「お金があっても介護してくれる人がいない」「介護してくれても毎回人が違って心が休まらない」という現状で、私にとって、とても複雑な気持ちにもなりました。
日本の植民地統治時代に建てられた住まいは老朽化が進んでいます。新病棟は傾き、橋に亀裂が入っていますが、これらが建てられた場所は地盤が緩く、元々建物を建てられる状態の土地ではないためです。政府も解っていながら工事を進めているのであり、一昨年は24名、3年前は21名が工事の音等でノイローゼになり死亡しました。またこれほど多くの死者を出していることを政府は解っていても、工事を止めません。早い時は朝の6時半から、遅い時は夜20時まで、大きな工事の音や穴を掘る音はひっきりなしに響き渡り、私が1日聞いていてもノイローゼになるのでは…というような大きな音でした。
現在旧地区に残っている入所者は約70名で、新病棟に移った方が約150名です。これらの入所者が、いまもなお何も出来ない状態で毎日を過ごさなければならないことがとても腹立たしいというのが、楽生院の現状でした。
納骨堂には、数えられるだけでも約600柱が納められ、その内30人近くが日本人の遺骨ですが、名前が無いので、現在納骨堂の中に名前を書くことを提案しているようでした。
また納骨堂も、旧地区の住人と同じく立ち退きを迫られ、生きている人間にも、死んだ人間にも、居場所を与えない状態にあり、元会長は政府に怒りを抑えきれない状態でした。
歴史的にも負の遺産となっている建物が多い中、どうしても残してほしいと、多くの人が望んでいるにも関わらず、聞き入れようとしない政府は、日本よりもひどい国だと思うのは私だけでしょうか。
病棟で92歳になるおばあさんが私にこう言いました。「両指が無い状態で、もうこれ以上長生きしたくない。何も出来ない状態で生きていても仕方ない」。この言葉は私にとってとても心が痛くなる言葉でした。しかし自分に置き換えてみると、そういう言葉も出るのかもしれません。その中で自分ができること、自分が何を感じるかをしっかりと心に刻みたいと思います。
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