ニュースレター No.12 (2012年02月20日発行) (1) (2) (3) (4) (5)
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鈴木重雄さんと洗心会
山口 和子(理事)

宮城県気仙沼(けせんぬま)市唐桑(からくわ)にある社会福祉法人洗心会は、3月11日の大震災で大きな被害を受けました。地震と最大級の津波、続いて起こった火災に夜通し燃え続ける気仙沼の港と街。テレビ映像を呆然として見続けながら、一昨年9月、気仙沼と唐桑を訪ねた日のことを思い出していました。

洗心会の創立40周年を記念して、笹川記念保健協力財団の湯浅洋(よう)顧問に、洗心会初代理事長であった鈴木重雄氏にまつわる話を新しい職員たちに語ってほしいという要望がありました。湯浅氏の洗心会訪問に便乗して、かねてから訪ねたいと願っていた唐桑行きを実現させたのでした。湯浅氏は、戦後間もない1946年に長島愛生園(岡山県)を訪れ、当時自治会の役員だった鈴木重雄氏(園名、田中文雄)を知りました。1955年、全国の療養所で初めての高校(岡山県立邑久(おく)高校新良田(にいらた)教室)が愛生園に出来た時、大学進学をめざす若者に英語の特訓をしてほしいという葉書が鈴木氏から届きました。それに応えた湯浅氏は、4〜5ヶ月の間愛生園に住み、教会堂の広間で夜間英語特別指導をしたのです。森元美代治IDEAジャパン理事長は、その時の高校生の一人です。これをきっかけに、湯浅氏と鈴木氏の交流が始まったのです。

鈴木重雄氏は、1912年生まれ。東京商大(現・一ツ橋大学)在学中にハンセン病を発病し、家族や学友から身を隠し続けた後、1936年12月に長島愛生園に入所します。太平洋戦争下のハンセン病療養所生活、自治会活動、結婚など紆余曲折を乗り越えつつ、愛生園に籍を置きながら、全国的に広く啓発活動を続けるという極めて異例の人生を歩みます。1960年代にはFIWC(Friendship International Work Camp)の学生たちの「交流(むすび)の家」建設(奈良近郊)に愛生園の若い入所者たちと共に参加。さらに広範な社会活動の中で培った官民、皇室をも含む幅広い人脈を駆使して、ふるさと宮城県唐桑町(現・気仙沼市唐桑町)の漁業と観光開発に大きな貢献をしました。

特記すべきは1973年4月、地元の人々に請われて唐桑町の町長選挙に立候補したことです。激戦の末193票の僅差で敗れますが、ハンセン病の病歴のある人が公職に立候補すること自体、当時としてはあり得ないことでしたが、鈴木氏の応援に、東京や関西から数多くの文化人や学者や大学生が駆けつけたということは、東北の一町長選挙としては極めて例外的なことでした。応援に駆けつけた人の中には、愛生園や東北新生園の入所者の他に、前述の湯浅洋氏のご尊父で、元・同志社大学総長、国際基督教大学総長の湯浅八郎氏の名前もありました。「交流の家」建設で共に汗を流した関西の学生ワークキャンプのグループFIWCのメンバーも多数応援に駆けつけています。

選挙から間もなく、地元の漁業界、とくに船主の人々の強い支持をうけて、鈴木氏はふるさと唐桑町に正式に復帰し、人生の最後の挑戦として、故郷の人々の社会福祉のために動き始めました。その集大成ともいうべきものが社会福祉法人「洗心会」の設立(1976年)でした。洗心会は地元の船主の方々の、鈴木氏への強い共感を受けて実現したもので、洗心会の命名は禅の高僧山田無文師で、最初の施設「高松園」(精神薄弱児厚生施設)は言うまでもなく高松宮ご夫妻のお名前をいただいたものでありました。

それから35年、洗心会は地域の福祉を担う組織として大きく成長し、今日では9か所の事業拠点(知的障がい者入所厚生施設、福祉作業所、生活介護施設、就労移行ワークショップ、グループホーム、相談支援事業など)をもつ法人に成長しています。しかも法人の理事には、40年前、鈴木氏を支えて選挙を闘い、法人を創設した船主や漁業関係者の子息たち、つまり第2世代の人々が今も続く絆で鈴木氏の遺志をついでいるのです。

3月11日の東日本大震災とそれに続く津波と大規模火災は、洗心会にも大きな被害をもたらしました。本部事務局は2階まで浸水し、就労支援のワークショップは津波と火災で焼失、福祉作業所は全壊、障がい者支援センターも浸水破壊。高台にあった入所施設の高松園は、一部損壊した建物を最近まで避難施設として提供し、地域の復旧拠点となりました。

3月11日、気仙沼・唐桑の惨状を知り、自分たちに何かできることはないか、と思いたった人は少なくありませんでした。前出のFIWCの人々は3月下旬に復興支援のボランティアチームを立ち上げました。その中心には、中国のハンセン病村のワークキャンプに参加して来た早稲田大学の人々がいました。卒業を目前にしていた4年の加藤拓馬君は、内定していた就職先から無期限の休職(?)をもらい、3月から唐桑に「移住」して拠点を作っています。これに呼応した全国のFIWCの新旧メンバーは、今も継続的に現地での活動を続けていることが報告されています。

関西出身の私にとって、気仙沼・唐桑はただ一つ身近に感じる東北の地です。現地に駆けつけてお手伝いすることはできませんが、個人として出来る範囲で、洗心会を支えようと心掛けてきました。その中で今一つ解決したい目前の課題があります。それは、鈴木氏の自伝『失われた歳月』上下巻の再版ということです。2005年、皓星社から出版されたこの本は、上下巻それぞれ500ページを超えるボリュームですが、2001年に発見された2000枚に上る自筆原稿をもとにしており、読み始めるとページを閉じることが出来ないほどの力がある書物ですが、現在出版社にも在庫がゼロの状況です。これからも気仙沼・唐桑で活動を続けるボランティアの人々、洗心会で働く人々、人々の絆に新しくつながる人々にとって、なぜ気仙沼・唐桑なのかを考えさせてくれる貴重な資料の一つであり、再販の実現を期待しています。

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社会福祉法人洗心会 ワークショップひまわり
取扱商品/菓子パン、パウンドケーキ、クッキー
TEL&FAX : 0226-24-8255
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