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私の活動の原点 (2) 理事長 森元 美代治 ◆母校の子供たちに励まされて 最近、「無縁社会」ということばが流行語のように使われていますが、ハンセン病療養所は100年前からその無縁社会を生きてきました。発病するや家郷を追われ、自殺するか、秘かに園内に身を隠し、死んだら所内の納骨堂に園内名(偽名)のまま無縁仏として葬られる宿命を負わされていました。 実は、昨年6月15日発行の本紙第7号に私は次のような文章を書いています。「そういう“私”ですら、『森元家』の墓だけには入れてもらえません。私の名前が墓石に刻まれれば,甥、姪、孫、さらにその子どもたちの結婚に差し障りが出てくるからというのです。私も無理して入ろうとも思いませんが、いずれ多磨全生園の納骨堂で無縁仏として眠るしかないと思っています」 母校の喜界町立第二中学校の先生たちがIDEAジャパンの会員になってくれていて、このニュースレターを送っていますが、佐藤貴紀先生が第7号を3年生14名全員に見せたところ、純朴な生徒たちの琴線に触れたのでしょうか。全員から思いあふれる激励の手紙をいただきました。 「ハンセン病問題の啓発活動に先頭に立って精進されている森元先輩が『全生園の納骨堂に無縁仏として眠るしかない』などと先輩らしくもない、うしろ向きな考え方は理解できません。自分たちもいっしょうけんめい応援するから、喜界島の森元家のお墓に入れてもらえるようにがんばってください」と。 幸い、私は昨年8月、奄美大島で行なわれた鹿児島地方法務局主催の人権フォーラムに招聘されていたので、その足で喜界島に行きました。丁度、夏休みで旅行中の一人の生徒を除いて13名の子供たちが私の来訪を待っていてくれて、教職員のみなさんを交えて、熱のこもった懇親会をもつことができました。 その時、私の大切な後輩であり、学校挙げてハンセン病問題に取り組んでいるこの子供たちの純粋な気持ちを傷つけてはならないと決心し、森元家の跡取りである甥の長男に話してみました。すると、若い彼は意外にもキョトンとした面持ちで、「おじさんが希望するように分骨して、半分は全生園に、半分は森元家の墓に入れてあげますよ」と約束してくれたのです。不可解な人生に予期せぬ出来事は付きものですが、何をか言わん、今回の後輩たちの心強い後押しが天に通じたことを素直によろこびたいと思いました。 |
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