ニュースレター No.8 (2010年1月20日発行) (1) (2) (3) (4)(5)
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IDEA と私

理事 柴田良平

2002年2月、作家冬敏之氏の葬儀の席で、村上絢子さんに「IDEA の国際ハンセン病女性会議がアメリカでありますが、ご夫婦で行きませんか?」と誘っていただきました。私のIDEAとの出会いはそのときから始まりました。その前年(2001年)ニューヨーク市で起きた同時テロ事件で延期されていた国際ハンセン病女性会議が、その年の6月初旬、ニューヨーク州セネカフォールズで開催されることになっていました。家内と相談し、その場でご返事し、同行させていただきました。

会議が開かれた所は、アメリカの歴史に輝く、世界最初の女性の権利宣言が発せられた土地でもあり、「平等な正義」「平等な機会」「平等な尊厳」を掲げる小都市でした。そこはまた、自ら奴隷の子として生まれ、奴隷解放のために命をかけたハリエット・タブマンの隠れ家が残る聖地でした。

IDEAがここに本拠を置き、タブマンの理念と重ね合わせ、世界のハンセン病への差別・人権侵害が残る理不尽な社会の在り方を糾し、ハンセン病回復者が国境を超えて「平等な正義・機会・尊厳」がかなえられる時代を築こうとする理想を掲げて活動している深い奥行きを知りました。私にとっては、初めての世界の回復者との交流でしたが、共通の苦しみを背負って生きてきた者同士ですから百年来の友のように、民族や人種を超えての交流に我を忘れました。

帰国後、IDEAジャパンの結成と同時に会員として参加させてもらいました。

顧みて、ハンセン病の発病以来、私が歩んだ道程は、40年前の社会復帰後も、差別と貧窮の狭間を夢中で歩き続けてきたと言えます。その中で、「ハンセン病に罹った不幸とあわせて、この国に生まれた不幸(国賠裁判での法廷証言)」の経験を告白し、ハンセン病国賠裁判勝利によって、その不幸を乗り超えて、今を生きています。

しかし世界的にはハンセン病は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなどの発展途上国では、新発患者が続いています。まだ日本は解決しなければならない多くの課題を抱えていますが、IDEAの理念を踏まえ、世界の志を同じくする人びとと力を合わせ、私たちの役割を果たしたいと思います。

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