ニュースレター No.8 (2010年1月20日発行) (1) (2) (3) (4)(5)
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初心にかえって
理事長 森元 美代治

▲ 全生園のバザーに参加した同志社女子高校の生徒さんたち。
園内のお年寄りの人気者だ/09年11月3日
新年早々、全国的な厳しい寒波に見舞われ、大雪などによる災害や交通事故が多発していますが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
日ごろ講演活動、ハンセン病資料館案内、全生園フィールドワーク、海外交流等に忙殺されて、本号の発行が遅れたことをお詫び申し上げます。
2004年8月5日に産声をあげたIDEAジャパンは、早や6年目に入りました。その間、手探り状態で取り組んでまいりましたが、皆様のご支援によりインド、ネパール、フィリピン、タイ、中国等のハンセン病の子供たちの奨学資金や生活改善資金を助成するなど、一歩一歩前進することができました。しかし、ハンセン病の世界を見渡せば、IDEAジャパンが果たさなければならないことがたくさんございます。今年は、理事一同初心にかえって努力する所存です。一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。

中国のハンセン病の現状
昨年の世界的な金融危機に直面して、いち早く50兆円を超える大々的なてこ入れを行なった中国政府は、今やアメリカに次いで、世界経済の牽引役を果たすまでに至っています。ところが、55の少数民族や600を超えるハンセン病コロニ—(快復村)等はその恩恵に浴することなく、ほぼ野放し状態です。年間のハンセン病新発患者は約1400人といわれていますが、どこまで正確かは分かりません。現在、コロニーには約2万人が生活していますが、無医村が多く、手足の傷の手当て等、医療や看護、介護は皆無といってよく、僅かな年金と細々とした農作業等による自立を強いられています。

JIA(ジャー、家)と QIAO(チャオ、橋) の活動
FIWC(Friends International Working Camp 国際青年労働奉仕会)の中国キャンプにはじめて参加した早大生の原田燎太郎君は、広東省にあるハンセン病コロニーの嶺后村(リンホウ村)の悲惨な状況に衝撃を受け、10年前大学卒業と同時にリンホウ村に住み込んで、村人たちのケアーをし始めたのです。看護、介護に無知だった彼は香港の看護師たちに教わったりして、ハンセン病特有の足せん孔症(足の裏の万年傷)を治したりしていました。私もその現場に居合わせて驚嘆し、日本から包帯やガーゼなど送ったこともあります。彼は一人ではどうにも埒が明かないと地元の教員養成大学の学生たちにボランテイアを呼びかけましたが、ハンセン病に対する知識の乏しい大学では感染を恐れて、参加したのはたった二人だけでした。その一人が後に奥さんとなる葵潔珊(ジェーシャン)さんでした。現在、1歳半の女児にも恵まれ、その名を嶺后(リンホウ)とするなど、ご夫婦のハンセン病問題に対する取り組みや情熱は並ではありません。彼らの活動は地域社会にも浸透し、理解され、今では村人たちもショッピングや外出を自由に楽しんでいます。
さらに彼らは625のコロニーの所在地の大学に呼びかけ、韓国、日本、中国の学生たちによるJIAというNGOを立ち上げ、現在、3000人の会員による広範囲なボランテイア活動を行なっています。
4年前、早稲田大学にQIAO(チャオ、橋)という会が結成され、日本と中国のハンセン病問題の架け橋になろうと、休み毎に隊を組んで中国各地の快復村のインフラ整備や多岐にわたるボランテイア活動をしています。チャオのメンバーには多くの大学の学生が加わり、アルバイトで旅費や滞在費を作って、現地のJIAと協働して活動しています。彼らの思いは今や中国に限らず、インドやインドネシアあるいは世界中のハンセン病村の活動へ広がろうとしています。IDEA ジャパンは、若い人たちの活動を応援しています。

IDEAネパールとの国際交流
昨年3月、わが夫婦はIDEAネパールを訪問しました。13年前のネパールと比べて、ハンセン病事情がどのように変わったか、確かめたかったからです。
カトマンドウ郊外にあるコカナハンセン病療養所を訪ねましたが、13年前とほとんど変わらない劣悪な生活環境に失望を禁じ得ませんでした。療養所で生まれた赤ちゃんや小さな子供たちが数名いました。ドイツやオランダのキリスト教団体の授産施設で、快復者の青年たちと近くの村の青年たちが協働で家具作りに励んでいました。嬉しかったのは、10年前に全生園の麦の会で作ったレンガ舗装道路が、車椅子の人たちや多くの入所者に利用されていたことです。
次に訪問したのは、ネパール第二の都市ポカラです。IDEAネパール副会長のパルバッティさんとIDEAジャパンの奨学生のバサンタさんが待っていてくれました。バサンタさんは山間部の出身で家も貧しく、パルバッティさんの家に下宿しながら通学していました。高校卒業の国家試験にも合格し、次はナースの資格取得に励むそうです。IDEAジャパンはナースになるまでの助成はしたいと約束しました。
国立グリーンパチア病院にはハンセン病患者や快復者たちと他の疾病の患者たちが共生していますが、トラブルもなく病院運営がなされていました。事務長さんによると、ネパールでは一昨年は4000人の新しいハンセン病の患者が見つかっているそうですが、実際にはその数倍の潜伏患者がいるとのことでした。
今回の訪問で、ネパールにも学校に通えないハンセン病の子供が大勢いて、IDEAジャパンがしなければならないことが沢山あるということを実感しました。

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