ニュースレター No.3 (2007年2月発行) (1)(2)(3)(4)(5)(6)
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大田市・忠南大学の写真展


ソウルから南へ、新幹線(KTX)で1時間のところに、韓国中部の中心都市、大田市があります。同市の国立忠南大学で、11月27?29日の3日間、「絆」の写真展が開かれたので、26日から韓国に行ってきました。
▲忠南大学の学生さん主催の写真展
なぜこの大学で写真展が開かれたのか? それについてお話します。ちょうど30年前に、日本の学生を中心にしたハンセン病支援団体「FIWC」(フレンズ国際労働キャンプ)と忠南大学の学生が、回復者の村「定着村」で、道路舗装や養鶏、養豚の手伝いを始めました。
定着村は、ハンセン病への差別や偏見が回復者の個人的な社会復帰を困難にしていたため、集団である土地に入植し、農業や畜産で生計を立てていこうとするものでした。現在、韓国に90ヶ所ほどの村があり、小は20人位の村から大は1,000名まで規模は様々です。その中に韓国のハンセン病回復者の約3割、約12,000人の人達が、その家族約13,000人と暮らしています。村の生計は養豚、養鶏等の畜産に依るところが多く、全定着村で、韓国の卵の生産量の約3割を生産していると言われるほどになっています。
定着村にも問題はあります。周りの村びとの偏見で子どもが地元の学校に通えないなど、島であるソロクトに対比して陸の療養所と言われた時代もあるということです。経済的に成功し潤っている村と、廃品回収だけに頼る貧しい村との格差が生まれています。
ソロクト裁判の補償問題でも、入所者の認定が進んでいるのに比べ、定着村の人たちのは、書類が揃っていないためほとんど認められていません。
支援活動は、同大学のジョナヘ(助らい会)というサークルによって、その後もずっと続いており、活動は中国にも広がっています。現在、サークルのメンバーは約60人です。
写真展の会場は、広い学生ホールでした。写真集「絆」の中にある回復者の言葉をハングルで手書きし、パネルの横につけたり、こちらからデジタルで送った写真を自分達で構成し、会場でスライド上映していました。
この写真展には様々なひとたちが協力してくれました。忠南大の学生さんはもちろん、橋渡し役をしてくれた日本のFIWCの人たち、ジョナヘの先輩たち、パネルを預かってくれたハンビのひとたち、それに各方面に写真展の開催を呼びかけてくれたソロクトの金新芽さん。重いパネルを苦労して持って行ったかいがありました。

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