ニュースレター No.2 (2006年8月発行) (1)(2)(3)(4)(5)
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中国とフィリピンのハンセン病事情

理事長 森元美代治

50年は遅れている中国の療養所
1999年9月に北京で行われた国際ハンセン病学会に初めて世界中の快復者が招かれ、各国IDEAメンバーを中心に約80名が参加しました。IDEA KOREAの主催によるレセプションに出席した中国の厚生大臣が、「中国ではハンセン病のことを麻風といい、怖い病気の代名詞になっています。このように快復者たちと同じ食卓に着いて会食することなど考えられないことです。厚生大臣として誠に恥ずかしい限りです。これからは中国政府としてハンセン病の啓発活動に積極的に取り組みます」と挨拶されたのが印象的でした。
その後、私は三度広東省の療養所を訪問しましたが、いずれも無医村で、劣悪な環境で自給自足的な生活を強いられ、後遺障害も重度で義足の方が多いのに驚きました。わが国に比べたら50年も遅れていると思いました。10?150人ほどの療養所が625もあるといわれており、それだけに大中国のハンセン病事情は厳しく、IDEA中国(漢達=ハンダ)の活動が極めて重要です。私はこの8月中旬に中国の療養所を訪問し、交流を深めてまいります。

フィリピンのクリオン島
私は去る5月6日、フィリピン・クリオン島のハンセン病療養所創立百周年記念式典に参加してきました。米国植民地時代にネイティブ(原住民)を追い出して、ハンセン病の患者を隔離し、長島愛生園のモデルとなった島です。ピーク時には7000人を収容し、「死の島」として人々に恐れられた孤島でした。
現在、島民2万人が共同生活し、大半は患者たちの子供、孫、ひ孫であったり、なんらかの関係者です。ハンセン病の快復者はわずか158人しかいません。子供13人、孫47人、ひ孫37人と誇らし気に語っていた人もいます。カトリック王国のフィリピンでは、患者でも、子供を持つことは当然のこととして認められたのです。
島は1992年に独立した自治体となり、初代市長選には快復者が当選しました。祖父母が患者だったというドクター・クナナンに病棟や快復者の老人ホームに案内してもらいました。全盲の老人が「ラジオのニュースを聞くのが唯一の楽しみだが、電池を買う金がない」と言い、また、ある老女は「眼鏡が合わなくなって困っている」と訴えていました。

IDEAジャパンの役割
恵まれた生活環境にあっても、将来に不安を抱えている日本の療養所。眠りを忘れたかのように終日元気な子どもたちの声が響き渡る一方、寝たきりの快復者たちが暮らすクリオン島。IDEAジャパンがしなければならないことがたくさんあると痛感して、帰国しました。

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